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コンペティティブ・プライス IS医師の良く言っていた言葉 ♪

competitive price コンペティティヴ プライス

IS先生が良くって言っていたっけなあ。価格競争力がある価格という意味だ。安い、とか、高い、とか、リーズナブルなどというもんじゃない。客の心をぐっととらえるほど良い値段で、勝負のどこにも負けんくらいのいい値決めをしていることです。


郡山に住んでいて、どこも相場だからこの価格という話が多いような気がします。福島の人間は革命を起こせない面白みがない資質ですね。商売人にひんがない。喰うためにやっている、しかたなくてやっている、たまたまこの道に進んでうまくいっているから続けている。そんな奴が多いような気がします。

福島県に住みながらも、海外旅行で長期滞在で郡山市に住んでいるくらいで生きているんですわ。
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平成22年2月 IS医師との会食(宝来にて)

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ピンボケだけれど、

角煮と野菜煮つけ、エビのサラダ、刺身とマグロ握り2貫、ジューシーご飯、ゆし豆腐(味噌汁じゃない)、他2皿か3皿が付く。それで1000円の定食コース。

ドン・キホーテ

福島県に昭和63年から住んでいるけど、なかなかなじめないでいる。平成6年から24年の間は福島に住んでいるといっても実際は月曜から土曜まで東京にホテル住まいだったので、実際は10年弱の期間かもしれない。

横浜に10年、東京の大森に10年、沖縄に10年、郡山に10年、新宿に10年、あとは大阪や大宮に数年、というのが私の過去であろうか?

IS医師は人生の折り返しに来たんだからもうあまり無理しないほうがいいんじゃないか?と言ってくれた。でも、ある程度年齢が行った人間は、男なら、定年を待つだけか?せっせと第2に人生のための趣味に興じるか?、全く新しいことにチャレンジするか?様々だと思うが、私はどうしても若かったころの夢をもう1度でも2度でも挑戦したいと思ってしまう。

こういうパターンは、野球選手で、年齢が過ぎてしまっている人が、誰からも無理でしょ、と思われているにもかかわらずテストに挑戦するような悲哀を感じるのかもしれない。

でも私は、滑稽で、悲壮感が漂ったとしても、ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャならぬ、ドン・キホーテ・デ・フクスマでありたい。笑えば笑え。投資家であったIS医師の思いを受け継ぎたいと考えている。

要するに私は毎日を自分の師匠であるIS医師と心の中で毎日語り合いながら生きていくのである。

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ゴルフバック

IS医師のマンションに自分のゴルフバックを置いていたので、沖縄に行った時にゴルフに出かけるときは、必ず先生のマンションの3階から運び出す。なぜか、先生のアイアンなどは安物だったから、私も安物だったが、一応ナイキのセットで購入したやつだから先生のよりはましで、先生は、つるやで買った一番安いやつをマンション住民に見られたくないからか、なぜかエレベーターを使わないで、いつもいつも、3階から階段を駐車場の下まで降りるんである。

なぜこんな話をするかというと、
この春先から悩まされている肩こり、ひどいので、接骨院の先生にもっと運動するとよくなるかもと言われ、急にゴルフを思い立った。寒いので昨日はいかなかったが、レンジでもまた始めるか!肩を回せば、肩こり、にもいいかもという次第で、ある。

IS先生のことを急にそうしたら思い出したのである。

ゴルフを始めたのは先生に勧められたのであり、平成16年にバックを買った。先生が24年になくなるまで、先生か、先生の友達としか、ゴルフはしなかったから、しかも、沖縄の守礼カントリーか、バンコクのゴルフ場か、でしかしたことがなかったので、下手なままである。

下手だけど、バンコクのゴルフ場で、蛇やトカゲを見たことや、看板にわにが出るかも注意とかあったことなど、こういう面白い経験をしている。台湾でもレンジに行ってみたり、セミプロみたいな方と一緒に回ったりしたこともある。

ちなみに先生が私にゴルフをすすめた理由は、ゴルフは世界のどこでもできるゲームだということ。でも台湾とタイでしかしたことはないけど。

沖縄 名護市の愛楽園

国立の診療所でらい病患者の施設であるが、皆様も知ってのとおり隔離する必要もないとなり、今は時代も変わってきましたが、今でも沖縄県の名護市の屋が地島にあります。

私は昭和58年の6月に初めてこの島に渡りました。そこで、イギリスの医薬品会社の営業マンとして愛楽園の医師たちと接したのでした。

その中にIS先生がいたのです。IS先生は医学部を卒業した後、中東やアフリカの日系の企業診療所、中国の沖合の海洋上プラント内の診療所、マレーシアのビンツルの診療所などを経て、東京のらい診療所に大学の先生に指示されて勤務し、その後沖縄に赴任してきたばかりのころでした。

院長は本当はどこの出身かは知りませんが江戸っ子のような方でした。副院長は沖縄の方でした。そのほか、香港から来たお医者さん、台湾からのお医者さん、そしていろんな医師がおり、その中に芦屋出身のIS先生がいたのです。要するにみな県外出身でして、診療所の場所が場所だけに、さびしい場所なので、製薬会社の営業マンが唯一の話し相手になるのでした。行くと、皆話しかけてきてとてもよくしてくれました。

1度か2度しかまだお会いしていないにもかかわらず、そんな理由があったからでしょうか?IS先生が診療所の官舎に招待してくれて、ビルマから友人がカレーを送ってきたから喰わないかと言ってご馳走してくれることとなりました。米はタイマイがあるから、まあおいしいはずやと言っていっぱい食わされました。いや、からいのなんの!

そこで、やおら話し始めて、原君、今君は若いからこれからもっと自分に投資するといいよ!5千万円、いや1億でもお釣りがくるぞ!10年あったらたいていのことはできるぞ!という話でした。私はその通りにその後の人生を歩むこととしました。5千万円は使いませんでしたが、数千万円は自己投資しました。

出資者からの資本など合わせれば10億は使ったことになります。ああ、なさけない。でも、IS先生、もういっちょやりまっせぇ。棺桶に片足だけしか入れてまへん!お申し付けは守りました、まだ生きていますぅ。死んだらあかん、言うたのはあんたでっせえ。守っていますよ~♪



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プロフィール
山小屋在住・愛犬シロ  本当の仕事はドラゴンパレス執事、バトラーである。

Marcy Goldfield

Author:Marcy Goldfield
自営、投資業

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