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第6回 僕の沖縄シリーズ  ホテルシリーズ

パシフィックホテル



琉球大学の学生時代4年間ほとんどホテルのアルバイトをしていました。

西町のシグマ観光ホテル (カシオ計算機の子会社) ナイトフロント
那覇市辻の辻観光ホテル (歓楽街、辻のど真ん中、オーナーが琉球大学の先輩、大金持ち) フロント
ホテル梅原 (歓楽街、辻のど真ん中、オーナーが華僑) ナイトフロント
観光ホテルビクトリー(那覇市若狭) ナイトフロント
オリエンタルホテル(那覇市辻、宮古出身のオーナー) ナイトフロント
アジアホテル(北谷北前?アメリカ軍族のファミリー向け) フロント
沖縄ヒルトンホテル(いまはない、北中城村) ベルボーイ、チップでおお稼ぎ!!
屋宜原ホテル(北中城のラブホテル) 客の大半がアメリカ人とかゲイ?

もっとやったかもしれないけど思い出せない。

その後、大阪の会社に就職したんだけど、沖縄駐在命令が出たので引き続き沖縄に住みまして、接待で今度はしょっちゅうホテルを利用することとなる。

よく使ったのが、

パシフィックホテル
ホテル平
東急ホテル
エッカホテル
ハーバービューホテル
那覇グランドキャッスル
都ホテル
沖縄ヒルトン

など。

沖縄は朝は当然だけど、昼も夜もバイキングやっているので食事を済ませるのには便利なんである。

特に思い出深いのは、東急ホテルのランチ、うまかったなあ。
沖縄ヒルトンのビュッフェ、ローストビーフがすごくおいしかったなあ。
そして、IS医師としょっちゅう行ったエッカホテルの中華。証券会社の前〇サンといつも一緒だった。

ああなつかしい。

→ エッカホテル





 
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第5回 那覇市安謝の界隈(かいわい) (^^♪

→ 那覇市安謝(あじゃ)


那覇市安謝(あじゃ)という地名があります。那覇市の一番?北側の町とでもいうか?58号線の北上したときに浦添に入る手前にある街です。

私はここの安謝(あじゃ)に大学を卒業後、大阪の会社の沖縄駐在員として、アパートを借りて、3年住みました。

上のGoogleマップの写真は安謝の私が住んだあたりを映しています。ですから住宅街ですが、香港までは高層ではないですが、住宅街なのに3階建てや4階建て、またはそれ以上の住宅が多く、ノスタルジックな雰囲気ですね。

写真に写る安謝医院は何回か通院したことがあります。その近辺は、ちょうど高架下あたりに小さな市場があり、数名しか客が入れない小さな食堂でもイセエビの定食など食えた思い出があります。




安謝の交差点 ←




安謝交差点を北上する58号を左折すれば、安謝新港(那覇新港)があり、簡易レクセンターが昔からある。簡易レクセンター内には温浴施設がありサウナや水ぶろなどは入れる、沖縄では安いほうの施設だ。沖縄は温泉がないので、沖縄に行った際には必ずといってよいほど訪れる施設の一つだ。

この安謝の南側が昔の、天久(あめく)通信基地、私はそういっているが正式名称は違うのかもしれないがとにかくアメリカ軍基地だった。そこが解放されていまや観光客でにぎわう那覇新都心に生まれ変わっている。

首里城は本当は木造の汚い建物だった!! 盛り過ぎだ!! 第4回

復元?された首里城



皆さんご存知の首里城だけれど、→ 戦前の首里城の画像はこうだ!




まあ立派できれいになったのはいいが少しかっこつけ過ぎの感が否めない。そして、ここ首里城のある土地は、ついこないだまで琉球大学のキャンパスであった。私は入学したときは首里キャンパスで、3年生から千原キャンパスの新しい今の琉球大学で卒業した。

千原キャンパスは完成したときは日本の大学のキャンパス面積では2位であったはずだ。北大の次だった。すべての所有面積を言えば東大になるのかもしれないが単独のキャンパス面積は琉球大学は巨大なんである。

→ いまの千原キャンパス。

なんせ構内に人造湖まである。

那覇市辻 西武門(にしんじょう)こうばんのあたり 第3回

那覇市の西武門(にしんじょう)交番のあたり



写真は西武門交番の交差点である。 Aflacの看板が見える店舗は昔雑貨店であった。学生の時よくここでおかずなど買い、または近所で拾い集めた空き瓶なども買い取ってもらっていた。

KOBANの裏のビルが35年前は新宿サボテンの店舗であった。とんかつ屋さんだ。

大湾洋服店というのあって、大湾という苗字であるから変わっているが、これは華僑である。国際通りに本店がある。この辻の店はとっくに閉店しているが、仕立てのズボンやシャツを何度か買ったのを覚えている。

Aflacの裏に海邦銀行の看板が小さいけれどあるが、そのまた奥が料亭那覇である。

写真の手前が若狭(わかさ)という地名で、十字路より奥が辻(つじ)という地名である。辻は歓楽街であり、昔の今でもそうだが、ステーキハウスの密集地であった。東町に移転したが、ジャッキーステーキハウスがあった。学生の頃はジャッキーの創業者のおじいさんが店の前を掃除していたのをよく見かけたが、これが店の名物でもあった。ジャッキーの隣は金松というステーキハウス、少し歩くと88(はちはち)、うるま、など数十メートル以内にステーキハウスが6件くらいあり、もう少し広げるとステーキハウスだらけである。

ちなみに辻は琉球王朝時代からの遊郭であり、今はソープランド街である。かなり大きい。ジャッキーステーキの命名はジャッキで力を入れなおして、遊びに繰り出すという意味もあったと聞く。

私は浦島太郎伝説は沖縄のこの辻であると思っている。竜宮城の乙姫様は那覇市辻、またの名を波の上(なみのうえ)という土地に住んでいたのだ。

普天間のあたりの想い出♪ 第2回 

https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92901-2202+%E6%B2%96%E7%B8%84%E7%9C%8C%E5%AE%9C%E9%87%8E%E6%B9%BE%E5%B8%82%E6%99%AE%E5%A4%A9%E9%96%93/@26.2963902,127.7806815,3a,75y,316.13h,89.72t/data=!3m7!1e1!3m5!1s64DzeWp8XI4c-8NuWs-xbw!2e0!6s%2F%2Fgeo2.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3D64DzeWp8XI4c-8NuWs-xbw%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D352.29086%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656!4m5!3m4!1s0x34e512c4dab6ff81:0xbd9e53c955349f74!8m2!3d26.2906216!4d127.7763814


普天間基地というのはいまや沖縄基地返還の問題を論するときのよく出てくるキーワードだ。

沖縄に行ったことがない人でも普天間基地という言葉は知っているんではなかろうか?

私は琉球大学2年生の時にこの普天間に住んでいました。外人アパート(とでもいうのか?)、今は沖縄にもなくなってきましたが、アメリカっぽい外装、内装、部屋割りなどのマンションというか?アパートがよくあって、そこの2階に住んでいたんだけれど、隣がアメリカ人の旦那さんと台湾人の奥さんみたいでした。しょっちゅうけんかしてて、「シャラーップ!!」という声が聞こえてきました。

言い返す奥さんに、「アイセイ!シャラーップ!」とよく言っていました。

アパートの近くにアンガスステーキのお店があって、たまに食べに行ったり、少し歩くと、ベーカリーがあって、客の大半がアメリカ人の面白いとこがありました。今は閉店している。もう少し伊佐方面に歩くと、坂の途中に長江飯店があり、陳さんと奥さんと仲良くなって、私は彼が設立した琉球中国総同盟?とかいう秘密結社みたいなとこの名誉会員になりました。

陳さんは言うことは立派でしたが、香港や深センに愛人がいっぱいおり、奥さんは会うたびにやつれていくのがわかりました。

長江飯店をもう少し下って、伊佐に降りて、58号線まで出ると、そこにジンギスカンがありました。このジンギスカンはほとんどの客がアメリカ人でした。3階くらい行きましたが、店の中には大きなかまどがあって、鉄の丸いタマゴみたいな化け物がストーブなんですが、中で火がすごく燃えています。その卵の化けもんの上に例のジンギスカンみたいな鉄板が山形になっていて、そこにバイキングスタイルでさらにとってきた肉を自分で焼くんです。黒人や白人、なんか薬中なんじゃないかというやつらと一緒に肉を焼く光景は異様です。でもすごーくおいしかった!!

普天間はまだまだ語り足りないからまたね!

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山小屋在住・愛犬シロ  本当の仕事はドラゴンパレス執事、バトラーである。

Marcy Goldfield

Author:Marcy Goldfield
自営、投資業

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