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お金持ちでも死んではなあ♪

琉球大学の今はなくなってしまった経営学科というクラスに私は在籍した。

その昔は商科といったみたいで、その前は BUSINESS ADMINISTRATION と呼ばれていたようだ。
アメリカの占領前は琉球大学は師範であったから、経営学科はアメリカそのものの影響を受けていた。

私の習った先生方もほぼすべてがアメリカの大学卒業者である。

琉球大学の経営は、40数名のクラスのうち3割以上?が琉球銀行や沖縄銀行に就職する。
前は今と違い琉球銀行の格がダントツであったために皆、琉球銀行に行きたがった。

なぜか?アメリカ施政下にあって、琉球銀来いというのは沖縄の中央銀行のような存在なのである。
今はどこの地方銀行でも為替の扱いができるようになったけれど、琉球銀行はアメリカの銀行のような
存在なのだから、業務が本土とはかけ離れてそういう意味では進んでいた。

ビジネスをやるんなら沖縄から世界に飛躍する、という感覚が昔はあった。
いまのように基地や観光に依存し、本土化してしまった沖縄の雰囲気とはだいぶ違っていたように思う。

そんな中で私は卒業したら沖縄の商社である国場組に就職したいあこがれていた。
そののち平成10年ころに元国場組の社長だった幸昇さんと懇意になり、私の会社の相談役に就任して
もらったことがあった。

のち国場さんは東町ボウリングの資金横領事件で商法違反の背任?で一族に裏切られ会社を去ることになる。

この国場さんを私に紹介してくれた方が株式投資をしていた友人であり、レバレッジを入れて50から60億くらいは
動かしていた方だった。世の中にお金持ちはたくさんいるけど現実的に考えてまずは5億の資産を目標に君も株に投資しなさい!と
よく誘われた。

どの方たちも素晴らしいことを私に教えてくれた方たちであった。総帥としての経営の極意、投資家としても判断の仕方。
しかし、一族の裏切りや、家族の結束が緩み、あるいはビジネス以外のところで思わぬ躓きをしてしまったり、
死んでしまったり、転んでしまうのである。

私も多少ビジネスを手を広げた時代に彼らにこう言われた。
「原君、商売はねえ、最後の最後まで勝負をあきらめたらあきまへんえ」
「一度死んでみなはれ!しかし、本当に死んでしまうのではなく棺桶に入っちゃだめですよ」
「棺桶には足一本だけ入れて、残りの一本は必ず残していなはれ」

そんなことを言っていた。本業では成功された方たちだったが、それと無関係なところで死んだりつまずいたりしたのは残念だ。
私がその思いをできれば引き継ぎたく思っている。

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山小屋在住・愛犬シロ  本当の仕事はドラゴンパレス執事、バトラーである。

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Author:Marcy Goldfield
自営、投資業

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