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第22話 センバル次郎の学生時代 入学編

琉球の統一はなった。キングタヌコンは感慨深いものがあった。
想い返せばセンバル次郎の那覇の学生時代から中山に移り住み王国を築き上げ、タヌコン城
で王冠を戴いたときまで、めまぐるしい激動の人生であった。

これからセンバル次郎の学生時代、王位に就く直前までいったい彼が何をしていたのかの彼
の半生をつづっていくこととしよう。まずは琉球大学の面接試験の話しから始める。

面接選考の会場は、名門である首里高校で行われた。今はもうない、天久のエッカホテルに
投宿していたセンバル次郎は、ここ首里高校まで試験当日歩くこととした。エッカホテルを
出ると「KENNEL」と国道58号線沿いの法面の壁に、なぜか大書きされていたのを覚え
ている。そのまま、泊高橋まで歩き、共産党本部の建物を横切り、崇元寺通りの道なりに
行けば、国際通りの入り口でもある安里に出る。

安里から、安里三叉路を超え、ひめゆり通りの安里交差点をさらに直進し、栄町市場を横に
見ながら大道大通りを行く。すぐ、松川の町となり、昔琉球大学の男子寮は首里の当蔵と、
ここ松川の個室の男子寮があった。今は、千原(せんばる)キャンパスに立派な寮が、
建っている。

松川を過ぎ、沖縄都ホテルを右手に見る辺りから坂がきつくなり、首里らしくなってくる。
山川町まで歩を進めると、日航グランドキャッスルがさらに視界に入る。今でこそ、リゾート
ホテルが次々に建てられてはいるけれど、当時はこれらホテルはやはりちょっと金持ちが
泊まりそうなとこであった。このほかに、泉崎の沖縄ハーバービューホテルも皇族が泊まる
とことして有名であった。

日航ホテルを左に見て、首里坂下通りを登れば、ようやっと首里高校の正門にたどり着く。
今の時代は違うけれど、当時は琉球大学へは首里高校と那覇高校から大量に入学した時代で
あった。

いよいよ面接が始まった。担当官は、豊岡助教授と大城助教授であった。

担当教官; 「どうして琉球大学を選んだのかね?」
センバル; 「それは、この琉球国をワシが統一するからじゃ」
担当教官; 「・・・・・・・・」

なぜか共通1次試験の点数も医学部の学生を上回り、面接を経て首席で合格した。

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山小屋在住・愛犬シロ  本当の仕事はドラゴンパレス執事、バトラーである。

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Author:Marcy Goldfield
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